
2010年12月16日
☆よかった。(超長文です)
昨日も今日も寒いですね。
この1週間はしんどかったです。
結論から言うと、全く問題なく、
安心することができました。
お蔭さまでいつも通りの自分に戻れそうです。
実は、先週の水曜日に実父が緊急入院しました。
両親はこの歳まで父母ともに、お医者さんにはほとんど
かかることなく
元気に過ごしてくれていました。
その日は義父のところへ夕飯を持って行くべく
先週同様、産直で気分よく、買い物をしていました。
さて、帰ろうと車へ乗り込んだときにいちばん上の姉から
電話がありました。
「あんこちゃん?
おとうさんやけどー。
今朝、倒れたらしいんや。
今現在は、心配ないんやけど、
今から病院に向かうところ。」
と。。。
心が震えました。
人間は生まれた限り、必ず老いていき、病気もし、
そして死ぬものや。健康で生かせてもらっとる
ことに日々感謝して生活しなさい。
子どものころから父によく言われていました。
その通りです。
父は来年喜寿を迎えます。
どこか悪いところができても、何の不思議もない歳です。
けど、けど、心配で心配でたまらなくなりました。
幼いころから、不整脈を持っている父。
朝の散歩の帰り道、次の予定のために
いつもより、少し急ぎ足で帰ったそうです。
そのとき、突然胸が痛み出し、呼吸もしにくい状態に・・・。
何とか家に帰るも、どうにも苦しい状態が続き、
近くの病院へ駆け込みましたが、今すぐ大きな病院へ行くようにと
言われ、母と共にタクシーに乗って大きな病院へ。
そして緊急入院になったようです。
私もすぐにとんでいきたい衝動にかられました。
でも、今日は義父の家に行くと連絡済み・・・。
いろいろ考えましたが、今日は、母も姉も2人とも付いて
いてくれる。とりあえず落ち着いているみたいだし、
と、病院へは行きませんでした。
けど、奥底の本心では、行かなかったのじゃなく、
行けなかったのです。
しんどい姿を見て、自分自身が冷静に対応できるかどうか
不安だったんです。最低な私です。
お昼過ぎに、もうひとりの姉から電話があり、
「全く心配ないよ~。いつも通りのお父さんや。
だけど、原因をみつけるために、しばらく検査入院
することになったから。」
といわれました。
「心配ないよ~。」と言われても
不安で不安で心配で心配でたまりません。
注射すらしたことのない父。
大丈夫なのか?
検査して、もしも、何か悪いことが見つかったら・・・
私だけ家が少し遠いから心配かけまいと
大丈夫って言ってくれているのだろうか?
もう、マイナスなことしか浮かんできません。
結局一晩泣いて、こんなんじゃダメだと思い、次の日は
仕事を休んで病院へ行きました。
珈木さんでおいしいおはぎを買って、
絶対泣かない!と気分を高めて
姉と一緒に行きました。
病室へ入ると、少し疲れてはいるものの
いつもと変わらない父が居ました。
「おまえ、どしたん( ̄ー ̄) ?」←ドヤ顔。
「もーーーお父さんやどこっちゃ悪くないのに
病人みたいにされてしもたーーーー」と。。。。
強がりでも何でもなく、ほんとに元気そうな父の
顔を見ると、心の底から安心できました。
心臓のエコーやら、MRIやらRI?やらこれから
受ける検査のメニューが病室に貼られていました。
父はとにかく、検査を受けたくないと言っていました。
とくに、カテーテルという検査は執拗に嫌がっていました。
腕の動脈から心臓まで管を通し、心臓の血流を見る
という検査。。。聞いただけで、私も自分ならぜったい
嫌だなと思う検査でした。
しかし、主治医の先生いわく、この検査を受けないと
今後の改善策が見つからないということ。
説明を実際に聞いた姉2人は、ぜったいに受けるべきだと
言っていました。
それもなるほどと思ったし、もう30年も前からやっている
検査で安全だと聞いたので私もこれからもずっと元気で
いて欲しいし、
来週は金婚式のお祝いを兼ねて旅行に行く予定もある。
父は行く気マンマン。じゃあ
そのためにも
カテーテル検査を受けて欲しい!と父に懇願しました。
父も先生の説明や、私たちのお願いにしぶしぶ応じました。
父の元気そうな顔を見た私はすっかり気分もよくなり、
あとは、検査結果を待つだけや!がんばれ!お父さん!
くらいに思っていました。
ひぃこが入院したときもそうだったけど
顔を見ずに心配ばっかりして、うじうじするよりも
実際会ったら元気になれるものだと実感したり安心したり。
そして、とうとうその検査日になりました。
やっぱり、仕事しながらも
ずっと気になって気になって仕方ありませんでした。
40分くらいの検査だから、1時間もあれば終わりますと説明を
受けていたので、1時間半くらい経ったなと思ったくらいに
仕事中だけど、母にメールしました。
「おかあさん、おとうさん帰ってきた?」
返信は
「まだや」
でした。。。
一気に不安になり、どうしても仕上げないといけない仕事を済ませ
病院へ迎いました。
「おとうさん、おとうさん、おとうさん」祈る思いで運転しました。
途中母から電話。
母「あんこちゃん、お父さん、今帰ってきたからね。心配ないからね」
私「そうなん?よかった!よかったね!」
それ以上何も言えずテンションだけ上げてそう告げ
詳細を聞かず電話を切りました。
いちばん近くで看ている母がいちばんしんどいのに
私が泣いている場合じゃない!自分にそう言い聞かせて
病院へと急ぎました。
今度は、仕事を終えた姉から電話があり、不安な気持ちを
打ち明けると姉は
「だいじょうぶやわ!そんなことやってあるある!
そんだけ心配しても行ったらあんがいまた憎たらしい顔
して、『お前何しにきたん?』って言うかもしれんで(^―^)」
同じ親から生まれてきたはずなのにどうしてこうも
ドーンっとしているのか?自分のことが情けないと思いながらも
すこしだけ、ラクになったころに病院へ着いた。
病室は、一つの嵐が去ったような、そんな空気だった。
6人もの子どもの出産を経験した母は、小さいながらも
どっしり落ち着いていました。
「あー。あんこちゃん、よう来てくれたな。」
落ち着いた表情で私を迎えてくれた。
父のベッドの方をのぞくと、しんどそうな父の姿があった。
聞くと
検査中に、父の容態が不安定になり、血圧が下がり、すこし危険な
状態に陥ったと・・・。
きっと、父は本当に検査を受けたくなかったのだとおもった。
人の体は、痛みやら極度のショックを受けたときに
体がそれに反応し、心拍数を落とすんだそうです。
ショックで倒れるっていうのはそういう状態のことを
いうらしい。
(医学用語で説明されたけど忘れました。)
でも、検査したいことは済んでいたので
検査結果はどこも詰まった箇所もなく、血流もとてもキレイ
だということでした。途中で説明に参加した姉と顔を
見合わせて胸をなでおろしました。
ただ、血圧が高いのと脂質が高いのでそれを
改善しなければいけないといわれました。
話しをしているうちにベッドのリクライニングを
起こして聞いていた父もどんどん表情が普通に戻り、
先生も退室しました。
その後、
甥も来たりして、いろいろ話しをしていました。
よかったよかったと思い、安心しきって、
エラソーに私が今後の予定を紙に書いて説明
している最中、急に父が黙るので
「おとうさん?聞いてくれよる?」とお父さんの方を向くと
お父さんが、顔をしかめてうなだれています。
「おとうさん!!!!」
私のあせった声に母も姉も甥も一斉にこっちに向き、
ナースコールしました。
看護師さんたちがあわてて処置をしてくださいます。
私は腰が抜けそうでした。
血圧がみるみるさがり、外で待っていてください。
と病室から退室させられました。
カテーテル検査は動脈から行うのでかなりの圧をかけて
止血します。
個人差がありますが、痛みが強く出る人と
ほとんど痛みが出ない人がいると・・・。
父はその痛みが強く出たようで
それによるショック症状が出たらしい。
無理やり受けさせたことへの後悔の気持ちが消えません。
ごめんね。おとうさん、こんなにツライ思いをさせて・・・
苦しむ父の顔を見るとつらくてしょうがありません。
病院に泊まる予定の母はとても気丈で、
「あんこちゃん、ありがと。子どもも待っちょるやろ?
はよ帰ってやって。お父さんは大丈夫やから。
しんどいんは今日だけや。明日退院するつもりなんやから(*^▽^*)
でないとお母さん、あんたが家に帰るまで心配せないかんやろ(^―^)」
母74歳。決して若くないし、身長も小学校低学年並みに縮んでしま
っている母が、とても大きく見えた瞬間でした。
次の日の朝、母に電話をかけて父の容態を聞きました。
朝はすっかり元気になったらしい。
お昼には退院の予定とまで・・・。








よかった。よかった。
そして無事にお昼に退院できました。
心臓の詰まりもなく、血流もキレイだったので
血圧を安定させる生活をして
まだまだまだまだ元気でいて欲しいです。
わたしには、大切なひとがたくさんいます。
今回は父だったけど、母だって義父だって、本当に
歳をとりました。
感謝の気持ちを直接言えたり、表現できたりすることが
できる今の時間を、今まで以上に大切に大切にしたいと
思います。
そして、私自身、もっともっと強くならなくては・・・。
最後に、ずっとだまって不安がる私を
見守ってくれた主人と、いろいろ協力してくれた
子どもたちに感謝します。
あんこ。